Chapter IV

Ideal & Reality

   
     

  木曜の夜に,トップアスリートをゲストに迎え,その哲学や心理状況,技術論などを披露するトーク番組がある。お気に入りの番組のひとつだが,宮本慎也選手(ヤクルト・スワローズ)が登場した回に守備練習についてこんな事を言っていた。
 「バットをスイングするときに,一番理想的な形で振ることが出来るのは素振りなんです。だから,フィールディングの練習も球を追うだけはなく,暇なときにシャドー・フィールディングとでもいうようなことをやっていました。」
 なるほどと思う。しかし,注目すべき点は,彼の中では守備における近づくべき理想型が確立されていることである。野球の守備は打球の方向,種類,早さ,グラウンドの違いなど,バッティングに比べてそのシチュエーションはバラエティーに富んでいる。その全てに理想型を求め続けるスタンスの結果が,昨年を含め過去3回ゴールデングラブ賞に輝き,名手と呼ばれる由縁であろう。
 これに限らず様々なスポーツでの理想型へのイメージトレーニングというのは元々重要視されていることである。スキーのアルペン競技におけるインスペクション(コース下見)などはイメージトレーニングが競技に直結していて,いかにインスペクションでイメージしたラインを実際にスタートした後再現することが出来るか,それ以前に,イメージしたラインが正しいのかどうかで結果そのものが変化してしまうと言っても過言ではない。
 この理想型の再現という手法はスポーツの世界だけの方法なのであろうか?当然の事ながら答えは否。逆に,全ての事象についてこの手法を当てはめることが出来るのかもしれない。ただしそれは,理想という呼ばれ方ではなく,目標と言われたり,将来へのビジョンと言われたり,公約と言われたりしている。ここ最近で一番ぴったりとした事例では,ターンアラウンドマネージャーとして日産に着任したカルロス・ゴーン氏などが,目標を掲げそのとおりに企業を動かした一人ではないだろうか。
 先日,こんなことがあった。ある材料の研究についてささやかなプレゼンテーションが開かれた。見解の統一がしにくいというのはあらゆる研究をする上で良くあることではあるのだが,出てくるものがあまりにも拡散的でどこに集約するのやらさっぱり解らなかったので,出席者全体にこんな問いかけをしてみたのである。
 「この材料のデータにおける具体的な理想値は何処にあるのですか?」
 荒唐無稽なのは承知の上での発言だった。そんなものがあり得ないのも知っている。しかし。空想で,というよりそれこそ理想でいいのなら誰か一人くらいは何か言うのではないかと期待した方が間違いだった。散漫で説得力がないのは当然だった。めざすべき方向を持たない研究など研究とは呼べない。そこはただの作業を研究と勘違いしているとしか思えなかった。
 自らも大いに顧みるとして,理想を忘れ,個々の作業に追われて前に進まないことに憂いを持つことはままあることかもしれない。それらの作業がどうしても必要だとしてもその後にあるべき姿を見ていないから,やはり作業は作業の領域を出ないのだろう。作業の末に何かしらの前進があったとしても,戦術的な話であって,戦略的にはもっと追い込まれているかもしれないということに何処かで気がつかなければならないのだ。

 という考え方こそが理想なのかもしれないし,現実的にそうなり得ないのも知っている。理想や願望を常に現実としてしまえば,それは「身勝手」と言われ,どこかに破綻を来す可能性の方がずっと高いし,それこそ,そんなことが可能なのはおとぎ話の中ぐらいなのだから。浦安のテーマパークがひとり勝ちになっている理由もその辺にあるのではないだろうか。
 ただ,「理想と現実」というと相反するものとして語られることの方が多いように思えてならない。そうではなく,理想を追い求める過程が現実なのであって,理想を否定するのが現実ではないと信じていければ,まだ少々は気楽でいられるのかもしれません。


けんきゅう ―きう 【研究】
(名) スル
物事について深く考えたり調べたりして真理を明らかにすること。
「日本の歴史を―する」「―者」「―所」「―室」

大辞林第二版(三省堂)より